The story of Naocastle ~スイスでの日々パート2~ 第7章

それにしてもヌシャテルに居た時はたいがいストレスが溜まったもんです。
アウェーの試合の時には前日にバスで移動をするのですが、僕とオーストラリア人のチームメートのジョーがたまに隣同士に座って話をする以外は、ほぼ全員一人ずつ座って、大抵3時間ぐらいのバス移動を無口で過ごすのです。


アフリカ人選手が、イアフォンで聞いている音楽の音がちょっとでも大きすぎて漏れていればたちまち注意されてました。
ジョーと僕はかなり仲が良くて、話も合ったのでよく笑い声を上げていましたが案の定、凄い目で睨めつけられながら注意されてました。笑
ホテルに着いても、服装はびっちりときめて食事のマナーもきちんと守らないと、絶対に注意されます。


クラブに恥をかかさないため、こういうマナーも必要なのです。
ジョーは、パスタがちゃんとフォークとスプーンで食えなかったので、かなり叱られていました。笑


「おい、ジョー。ここは動物園じゃないぞ。」なんて感じでね…。


これは別にルールじゃないのですが、試合の2日前から、選手があまり笑顔を見せるのは、御法度みたいな感じでして、とにかく息苦しい雰囲気ったらありゃしない。
その上に、ミーティング、練習はもちろんわからないフランス語で、テレビをつけても全部フランス語で、当然と言えば当然ですがこれが又、結構頭を痛める材料になってしまう。
更にこの時の監督は戦術確認が多く、試合前々日から試合当日までにだいたい3回行い、長い時は1時間以上のミーティングにもなるのです。笑

しかし現実そんな事は言ってられず、結果を残すか残さないかが僕の仕事。足首の怪我から復帰しても、全然出番が回って来なかった僕は相当苛立っていました。
なんでやねん?使ってくれや!試合に出してくれれば、出来るという自信もありました。

胸の内を伝えるために、監督とも話をしました。練習でも精一杯やって、ヤル気があるところを見せまくった。ある日の練習であまりにも他の選手を削りすぎてたので、監督から注意された事もありました。
その時、つい叫んで監督にこう言い返してしまったぐらい苛立ってました。


「ふざけんなよ!ここは臆病者の溜まり場か!?俺を使えよ!!」


そんな中、UEFA杯の本大会1回戦、オセール戦のリターンレッグも近づいていて、その試合には間違いなく出たかった。
その年、日本人で6人もの選手がUEFA杯本大会に出場。
僕以外は、もちろん全員日本代表の選手である中、無名でも頑張っているところを証明してやろうと思っていました。


そしてまたちょこちょこと、リーグ戦で途中出場をし始めて、オセール戦を控える週の練習ではスタメンを匂わす事もあったんですけど結局はベンチスタート。
でも、つい最近までシドニーでやっていた選手が、UEFA杯に出られる場所にいるなんて場違いだと言ってしまえばそれでおしまいですが…


試合前にスコアボードの裏側に上がっていた黄色いUEFAの旗を見上げながら、僕がここにいる事が信じられへんとも一瞬思いました。
しかし、母、祖父、祖母もシドニーからわざわざ見に来てくれたこの試合は、何があっても出場したかったのです。


オセールにはフランス代表のシセ、メクセス、ボムソン、カポ、コートジボワール代表のカルー、フィンランド代表のタイーニオ、あと名前は忘れましたが、カメルーン代表のレフトバック等がいて、そう簡単にはやらしてくれませんでした。
1試合目、相手のホームで1-0と負けているためうちらはどうしても点を決めなければ2回戦へとは進めない。


しかし、後半20分あたりでカウンターを食らってしまい0-1。
ああ、ここはもしかしてフォワードの選手しか使わへんのかな?って思ったんですけど、ラスト12分で監督から呼ばれました。
仕事は、カルーを封じる事。そしてチャンスがあれば前へ。


出てみて正直思ったのは別にできない事はない。
でもやはりこの時のカルーは巧かったです。一回もろにかわされたシーンがありましたが何とか12分間は抑えました。
試合はそのまま0-1で終わってしまったんですけど、得た物はありました。


実をいうと、弱すぎたこの時の自分の事を書くのはあまり好きではありません。
夢を叶えて、いい給料をもらっているのに幸せじゃなかった。正直、毎日が苦しくて毎日毎日帰りたいと思っていました。
冬休みに、ジョーと一緒にシドニーに帰る事が決まっていた二人は、毎日のようにカレンダーを見ながら一日ずつ、ペケをつけながらカウントダウン。
毎日、二人で愚痴りながら、励ましあいながらなんとか12月の冬休みが来たという感じです。


しかし最後の試合の1週間前、僕を含める3人の外国人枠選手が解雇を言い渡されます。
フランスから新しいスポンサーが入り、彼が他の外国人選手を連れてきたいとの事で必要なくなった3人の道具はゴミ箱へポイと…


ところが60%以上の試合に出ていると、解雇は出来ないという項目が僕の契約の中にはあり、ジズーと相談したところ、僕は最後の試合に出ればぎりぎり60%達成をするということで、ここは黙っていようと言う事にしたところ、その時調子が良かった僕は最後の試合をスタメンで出ることになります。


うまくやったとジズーは言ったが、この時黙っていた事が後になって少し裏目に出てしまいました。


話を飛ばせば次の9ヶ月間は、残りの契約期間の給料を巡って、裁判沙汰になりかけます。そしてもう裁判になるっていう寸前に僕に就いてた弁護士が言ってきました。


「契約上だけでいけば、100%お前が勝つ。だがここはスイスだ。外人であるお前に対して、全員が敵になるであろう。
そして解雇を言い渡された後、1週間以内に抗議の手紙を書かなかった事は間違いなくマイナスになるはずだ。
何も言わずに黙っていた事が少し裏目に出たかもな。でも最後の試合で60%以上か以下が決まる中では無理も無かった。
とにかく、それらの事を踏まえたら、勝算は50/50かもしれない。このぐらい低い勝算なら俺には裁判の費用は払えない。そのリスクはお前が取るというなら弁護をしてもいい。」


裁判の費用は安くなく、なによりもこんな事でもし裁判に勝ったとしても、変な意味でサッカー界で有名になるだけで、今後のキャリアには良くないかなと思い撤退することを考えました。


厳密に言えば、この9ヶ月間はスイスの2部でプレーしており、新しいシーズンが始まった2年目の6月には、労働ビザが未だに下りないというハプニングがあり、毎日練習に行きながらも、試合はスタンドから観戦という日々が続きました。
この日々は本当に苦しかった。契約が目の前にあるのに、試合に出られない…


しかし僕一人の力じゃ何も出来ない。歯を食いしばりながらスタンドで観戦をしていた時間はあまりにも寂しかった。
練習でも必死に頑張っていた僕に気をつかって声を掛けてくれる監督や選手がいる事も逆に苦しかった。


2004年から外国人枠が5人から3人に減り、去年までEU圏の選手は外国人選手扱いだったのが、それが無くなり、外務省の言い分ではフランス人とかイタリア人を外国人枠じゃなくて取れるのに、なぜ日本人を取るんだ?という事でした。
更に言えば、この2部のチームもヌシャテル州にあり、ヌシャテル関係者がスイス外務省と繋がりが強いので、阻止をしていた可能性は高いです。
ビザが下りなければ、国を出る事になり、さすがに裁判にはしないだろうという事も計算済みだったのかもしれません…




海外挑戦を視野に入れた選手育成

"Aiming to be a world class player would be on anybody's mind who have tried to pursue a career in this beautiful game, but I think it is more important to aim to be a first class human being."
「このサッカーという素晴らしい競技の中、プロを目指す人間の頭の中に世界一流選手になろうという気持ちは必ずどこかにあるはずです。でも私は人間として一流を目指す事のほうが大切だと思います。」
今矢 直城

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息苦しい組織って嫌ですね。笑い声さえ上げられないなんて!!

こんなに大変な思いをされてたなんて、知る由もありませんでした。
本当におつらかったでしょうね。
2部チームのNaoさんの試合を見に行きたくて、チェックしてたけど、結局見に行けず、今でも後悔です。

2004年からスイスのEU圏外の外国人の労働ビザ取得の減少はスポーツ界だけじゃなく、一般企業もそうで、現に私もそうでした。そして年々悪化しています。
ただ、今となっては遅すぎるんですけど、日本とスイスの無関税貿易制度合意に伴い、日本側はスイスへ就労ビザの増加を訴え、最近少しはよくなってみたいですよ。

Naoさんの活躍以降スイスリーグでもアジア人が増えたと思います!!

続きを楽しみにしています。

投稿者 sweetchiaki  : (2010年08月30日 23:08)

sweetchiakiさん

そうですね。笑
笑いがあったほうが健康的です。

お、今となってそんな新しいルールがあるんですね。

sweetchiakiさんも2004年からのルールで大変だったんですね。

しかもだいたい1月には決まるのが、サッカーの契約は7月なので、その枠が既に埋まっていたのです。
確かヌシャテル州は60でした。
一般企業も全て含めてですから極めて少ないですね。

投稿者 Nao  : (2010年08月31日 13:36)